一般社団法人倫理研究所 山梨県倫理法人会 特別ページ|『倫理ネットワーク』121号 私の倫理体験 問題はあるほうがおもしろい 大村義之

問題はあるほうがおもしろい

The president on his RINRI experience私の倫理体験

大村義之

土地家屋調査士として40年、土地や建物の登記、境界確認、建築に際しての近隣同意など、地域の様々な課題を解決してきた。
「大丈夫、俺が矢面に立つから」と、問題の渦中にニコニコ飛び込んでいく。“とにかく明るい”大村さんが倫理を学んで得た気づきとは?

気づきが自分を助けてくれる

 仕事柄、揉めていたり、トラブルになりそうな現場に出かけていくことが多くあります。土地の境界確認においても、お互いの主張が食い違ったり、相続の問題で諍(いさか)いになる。

 建物を建てるにも、近隣の同意を得なければならない時があります。「あそこは難しい家だから」と聞いて訪問するんですが、そういうお宅にも喜んで行きます。もうニコニコしながら入っていく。戦いにきたのではないという安心感をまず持ってもらうんですね。

 玄関に入って靴を揃える時は、さりげなくそのお宅の靴も揃えます。それはもうクセになっています。そこで話をすると百パーセントOKになる。これはもう不思議ですよ。

 もともとは靴なんか揃えるタイプではありませんでした。いつも脱ぎっぱなしで、妻に怒られていました。倫理を学ぶようになってから変わったんです。靴を揃える。ゴミが落ちていたら拾う。それがまた一つのチャンスにもなる。「ゴミ一つ拾うことは仕事一つ拾うことだよ」と、これも倫理で教わりました。

 先日ある地権者から、測量の依頼がありました。社員が境界を確認して、隣家のおじいさんに見てもらったのですが、ハンコを押してくれない。これは何かあるなと思って、私が話を聞きに行くと、「お前んとこは杭を打ってから境界を見るだか?」と言う。ああ、そうかと、ピンと来ました。すでに杭を入れた状態で確認したのが良くなかった。即座に「申し訳ありませんでした」と謝って、入れたばかりの杭をボンボン抜きました。

 そのまま帰りかけたのですが、ふと気になって、車からほうきを出して周りを掃いて、足跡もきれいにしました。何となく、そうしたほうがいいと思ったからです。

 とはいえ、ハンコをもらわなきゃならない。どうしようかなと考えて出た答えが、「二日くらい経ってからまた行こう」でした。

 二日後に伺って、おじいさんに、「都合のよい時にまた立ち会っていただきたい」と話したら、「今でいい」とおっしゃる。なんでも前日、たまたま息子さんに、「測量会社の社長がこういうことをして帰った」と話をしたら、「お父さん、今度来たら立ち会ってやりなよ」と言われたそうです。

 それで、前回と同じところを見て、同じところに杭を打ちました。終わると「おい社長、書類へハンコを押すずらー、うちへ行くじゃん」と言われ、お茶に呼ばれて、その日にすべての書類にハンコをもらうことができました。

 仕事をしている中で、日々、こういうことがあります。「気づき」が自分を助けてくれるのです。

家のことは一から十まで妻任せ。
父親としての不自然な生活を
娘の姿に教えられました。

 大村さんは山梨県韮崎市生まれ。家は農家だったが、「この資格を取れば一生飯が食えるから」という恩師の助言で、家屋調査士の道へ。昭和50年、21歳の時に独立開業した。

 平成19年、知人の誘いで倫理法人会に入会。倫理を学ぶようになって初めての「体験」を鮮烈に記憶している。

 雨の日に車で仕事に行く途中、道路脇の側溝から、茶色い水が溢れている。いつもはそのまま通り過ぎるけれど、〈気づいたらすぐすると倫理で学んでいる。放っておくことはできんよな…〉と頭をよぎって、Uターンしました。

 すると、側溝ではなくて、水道管が破裂していたのです。土を巻き込んで溢れた水が、どんどん家の中に入っている。これは大変なことになったと、すぐに水道局に電話をしました。

 仕事が終わって、帰る時にまたそこを通ると、工事車が道路を舗装していました。水道管の補修は無事に終わったようです。もしあのまま時間が経っていれば、床上まで浸水していたかもしれない。道路の下の土が削られて、大惨事になっていたかもしれない。

 〈ああ、よかったな〉と、心底思いました。同時に、すごく幸せを感じました、気づいたことをすぐ行動に移したら、人の役に立つことができた。倫理ってすごいなと思ったのです。 それから夢中になって朝起き、即行、清掃、挨拶の実践を続ける中で、一年半ほど経った頃、行き詰まった時期がありました。

 知人の頼みで、ある選挙の事務長を引き受けたのですが、あまり気乗りしなかった上に、やることなすことうまくいかない。モーニングセミナーにも出席できず、日を追うごとに気が滅入ってくる。会社でもトラブルだらけで、すっかり落ち込んでしまいました。

 その時、倫理研究所のある研究員に、「問題だらけで、どうしたらいいかわからない」と胸の内を明かしたのです。 すると、「大村さん、問題だらけということは、今忙しいでしょう。でも今、世間は問題がないのですよ、仕事がなくて。大村さんは忙しいから問題があるのです」。続けて、「その人の器以上の問題は起きませんから。すべて解決できる。心配いらないですよ」。この言葉には、胸のつかえがスーッと取れたようでした。

 もし仕事がなければ、今の悩みは一つも起きてこなかった、俺はなんて恵まれているのだろうと。資金のトラブルでも、自分には何億の話は来ません。せいぜい何百万の話です。それが自分の器なら、何も困ることはないのではないか。そう考えると、落ち込んでいることが馬鹿らしく思えて、前に進む活力が湧いてきたのです。

妻みどりさんの誕生日に、美点を100個書いて渡したという。「よく読んでくれたのかなと思います。『2つダブってたよ』と言われましたから(笑)」

娘の姿から教えられた 親の生活の不自然さ

 仕事が軌道に乗る一方で、家庭では「とにかくワンマンな夫、父親だった」と振り返る。家のことは一切妻任せで、意見されても聞く耳を持たなかった。
「生活できるようにするのが俺の使命。会社を経営して、お金を入れていればいい」というのが持論だったという。

 東京の学校に通っていた長女が、一時体調を崩して、実家に戻ってきました。鬱のような症状もあったため、娘はカウンセリングに通っていました。

 いつも妻が付き添っていたのが、ある時、父親も一緒に来るように言われました。そこで、「お父さん、娘さんの話をもっと聞いてください」と言われたのですが、自分ではそういう自覚はありませんでした。

 それからしばらく経って、深夜、娘の部屋からものすごい声がするのです。慌てて部屋に行くと、苦しそうにドタバタしています。過呼吸の発作でした。妻によれば、前にも発作はあったようです。ただ、自分は知りませんでした。初めて娘の様子を目の当たりにして、このまま窒息死してしまうのでは…と思うほど驚いてしまったのです。 

 これはいったい何を教えられているのかと考えて浮かんだのが、『万人幸福の栞』「子女名優」の一文でした。

 「子供自身に、あらわれた病気でさえも、例外なく、親の生活の不自然さを反映したまでである」

〈親の生活の不自然さか、これは俺のことだろうな…〉と考えた時、これまでのことが思い出されました。妻に相談もせず勝手なことをして、迷惑をかけたこと。家族と何か約束をしても、いつも仕事のほうを優先していたこと。娘は小さい頃、「うちにお父さんはいない」と思って育ったといいます。発作を起こした当時も、娘とはケンカ中で、口をきいていませんでした。

 これまでのことが次々に頭に浮かんで、初めて娘に申し訳なかったという気持ちが湧いてきました。娘にあやまろうとメールをしたのですが、打ち終わった後、娘のアドレスを知らないことに気がつきました。それほど関わりが薄かったのです。

 メールを見た娘からは、ひとこと「お父さん、頑張って」と言われました。それが数カ月ぶりの会話でした。今思えば、親の生活の不自然さを娘が体で教えてくれたのだろうと思います。もっと早く気がつくべきでした。

 その後、娘の体調も落ち着き、現在は定職に就いています。今はできるだけ家族との時間を持ち、約束を守るようにしています。過去を振り返ると、会社でのトラブルや、不祥事があったことも、家族を裏切っていたことと無関係ではなかったのでしょう。仕事は仕事、家庭は家庭と、別個に存在しているのではなかったのです。

明治水害以来の課題を「集団和解」で解決

 韮崎市出身の大村智氏が2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞したことは記憶に新しい。親戚というわけではないが、大村さんと博士は懇意の間柄。今も博士が自宅に戻った際は、お互いの家を行き来して、家族同然に食事をする。 博士が郷土のために温泉や美術館をつくったように、大村さん自身も、地域へ貢献したいという思いが人一倍強い。2011年、その思いが結実する。

 韮崎市西町地区は、明治の水害と、昭和34年の伊勢湾台風で、宅地が流されて以降、土地の境界が確定されていなかった。明治期の公図と、地権者が占有する現況の土地が違うため、銀行融資を受けられなかったり、土地の売買にも支障が生じていた。

 約4ヘクタールに及ぶ筆界(ひっかい)未定地問題の解消を、市は何度か試みたものの頓挫していた。そこに白羽の矢が立ったのが大村さんだ。2011年、大村さんは、一年半がかりで「集団和解」を実現する。

 地権者が80人、相続する人も合わせれば、140人に同意をもらう必要がありました。その中には、海外に暮らす人もいます。「昭和8年生まれで、昭和13年にブラジルに渡った」という戸籍だけが残り、消息の知れない人もいました。そのすべての人に同意をもらうわけです。

 市からの委託で、その事業を請け負い、結果、すべての地権者に同意をもらうことができました。ブラジルに暮らす地権者も探しあてることができ、間に立ってくれる人を介して、同意を得ることができました。 新しい地籍図ができた今、西町には新しい家が建ち始めています。「土地が正当に評価され、安心して暮らせる場所になった」と皆、喜んでくれました。

 倫理を学ぶようになって、「みんなで良くなろう、地域をよくしていこう」という思いは、より強くなりました。土地の問題が解決して、その地域の人に幸せになってほしい。栄えてほしい。それが自分の仕事になるなら、これほど仕事冥利に尽きることはありません。

 50年も手がつけられなかった課題だけに、「できるわけがない」という声もありました。実際、難問だらけでしたが、難題があるほどいいのです。ここでの事例は、東日本大震災のような災害で、土地が流出してしまった地域の境界確定にも、きっと参考になるはずだからです。

肩に手を置くのは、写真用のポーズではなく日常のこと。「いつもやってます。触りすぎですって言われるくらい(笑)」

問題はあればあるほどいい。
そこにドラマが生まれるから。
この面白さを体験しないと人生損ですよ。

2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智博士とは、30年来の親しい間柄。博士が私財を投じた「白山温泉」や「韮崎大村美術館」の開発を手がけ、地域貢献をサポートする。